初めての報酬

限られた予算にもかかわらず、私は、外観のデザインを水平線上に雄大にイメージする技法でスケッチし始めていた。フランク・ロイド・ライトやリチャード・ノイトラ、さらにはアルバー・アールトなど、当時、学生たちのデザインバイブルだった建築家へのあこがれと野心があまりにも強かったのだろう。いま思えば、何と無謀なことだったかと思う。スケッチブックの上には、やがて、小高い丘の上の風景と地面に、のびのびと水平に描かれた外観のデザイン画が仕上がった。日本建築のデザインエッセンスの一番のポイントは屋根。その庇の一部は、家の壁から、優に二メートルもつきだしていたのである。しかし、その時の私には、その大胆な屋根が、後でどんな戒めを教えてくれるのか、知る由もなかった。ただただ、近代デザインに満足を覚えて、誇らしく思っていたのである。■初めての報酬。私の最初のデザイン画には、先輩も、建て主の小手川氏も快くOKを出してくれた。建築の手はずも万端に整ったので、先輩は設計補助の報酬として、当時で一○万円近い大金を私に支払ってくれた。これが私の、建築家としての初めての報酬である。私は嬉々として日常生活へ戻ろうとしていた。ところが、である。大学に戻ると、学生部長から呼び出しを食らってしまった。日頃の反抗的な態度が、よほど気に入らなかったに違いない。随分絞られたあげくに、「君をこのまま三年に進級させるわけにはいかない。もし、進級したければ親を呼べ」と、言われてしまった。

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