モスクワ亡命から欧州(無銭)旅行へ

留年になろうが、退学処分になろうがもういい。大学も、この国にも未練がない。勢いで、その二週間後には、当時のソビエト連邦共和国への入国ビザを手に入れていた。本気でモスクワに亡命しようと考えたのである。■モスクワ亡命から欧州(無銭)旅行へ。なまじ、軍資金があったのも悪かったのかもしれない。小手川邸で得た一○万円ほどのなかから、インッーリスト(ソ連の交通公社のようなもの)を通して、とりあえずナホトカ行きの船の乗船券を購入したのである。船名はいまも忘れない、オルジェニキッゼ号。船内中どこもかしこも、料理に使うアザラシ脂の臭い(後でわかったことなのだが)でむせかえるような船だった。竹芝桟橋から船に乗って気分は津軽海峡冬景色ならぬ五月晴れ!若さの勢い余ってついに国外へでてしまったのである。これが私の初めての海外旅行のきっかけとなった。ナホトカからウラジオストックへでて、そこからはシベリア鉄道、汽車の旅で一気にモスクワヘ・初めての海外旅行と書いたが、それは結果論であって、当初は亡命のつもりだから、真剣にモスクワ大学の建築学科へ入学して、ソ連政府に認められる建築家になってやろうと思っていた。ただ、モスクワまでだと切符を売ってくれなかったので、仕方なくヘルシンキまでのスルーの切符を買わされていたのである。モスクワへ着くと、すぐにモスクワ大学の門をたたいた。

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